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【ニホンカワウソとは】
ニホンカワウソの生態・歴史


学名はLutura 英語名はOtter 。
 カワウソは食肉目イタチ科、カワウソ亜科に属し、日本に生息するものはニホンカワウソとされています。アジア・ユーラシア・アフリカ・南北及び中央アメリカに12種のカワウソが広く分布しています。

特徴
 体系は頭が扁平で、長い尾と短い足を持ち、体は潜水するため細長い。足には水かきがあり尾は泳ぐときの櫓の役目を果たします。

食性
 ウナギ・アユなど魚介類のほかエビ・カニなども食します。大きな魚は骨、頭、尾を残します。大食漢で1日1キロほどの魚をたいらげると言われています。

生態
 もっぱら夜行性で、昼間は真水の流れる場所に「ねぐら」、「やすみ場」をつくって休息します。夜間は採餌のため川・沼池・海を行動し、魚類を捕食します。行動中の糞は、サインポストとして川原や海岸の石や岩の上に少量残します。行動の範囲は広く数10キロに及び、行動範囲内に「ねぐら」「やすみ場」をつくります。巣穴はこれとは別で、自然の岩穴や木・竹・しだの根の下などを掘ってつくります。10〜11月ごろ発情し、約2カ月で1〜2頭を出産しますが、3頭の場合も確認されています。遊び好きな賢い動物で、岸辺で滑り台遊びをしたり、貝を拾ってきて石の上に並べたりします。泳ぎは達者ですが、生まれたときから泳げるわけではなく、親が子に泳ぎ方を教えます。かつては北海道から九州の全域に生息し、明治の中ごろまでは東京の荒川あたりでも目撃されたそうです。
  
歴史
かつては本州・四国・九州に広く分布していたらしく、骨の一部が各地の遺跡から出土しています。日本の近代化とともに河川環境が悪化し、また毛皮をとる目的で捕獲され、次第に生息域を追われていったと考えられています。1880年代には東京にも生息していたそうです。大正年間には年に1000頭以上の捕獲記録があります。その後,乱獲と河川環境の変化により各地で次々に絶滅し,1930年ごろには兵庫・和歌山・京都・長野などに少数が分布するに過ぎない状態となり,まもなく消息を絶ちました。1947年に香川県の海上で3頭が捕獲され,四国で生存が確認されましたが,瀬戸内では1964年頃,愛媛の宇和海では1973年ごろを境に姿を消しました。現在,生息は未確認。

須崎市におけるカワウソの歴史
須崎市で1974年7月25日,上分公民館そばの新荘川で1頭の見慣れぬ動物が発見され,それが、特別天然記念物であるニホンカワウソと確認されました。ほとんど絶滅状態で幻の動物といわれていただけに,このニュースは日本中をかけめぐり全国的な話題となりました。また,翌1975年には大阪セメント須崎工場の食堂に侵入したのが発見され,1979年には,新荘川や依包川,押岡川などで4月から9月頃にかけてしきりに出現し,テレビ局や新聞社,地元の人のカメラなどがその姿を捕らえ,数多くの記録が残りました。このような中で,新荘川流域住民が地域ぐるみでカワウソを守り育てようと「新荘川の自然とカワウソを守る会」を発足させ,市議会においてもニホンカワウソの保護問題について「早急に対策を打ち出すように」との環境庁への意見が採択されました。また,県・市など関係者が集まり「カワウソ保護対策会議」が開催され,河川の土木工事での環境への配慮,パンフレットの配布,たて看板の設置,カワウソの餌の確保など多くの保護対策が提案されました。